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南紀白浜温泉



泉質
食塩泉・炭酸泉・重曹泉
源泉温度32~85℃。

効能
胃腸病・神経痛・リューマチなど

白浜温泉は京阪神から一泊旅行に適した温泉場の一つで、京阪神方面からの客が多い。南紀白浜空港もすぐ近くなので、遠方から訪れることもできる。白良浜沿いには高級リゾートホテルが並んでいるが、温泉街には民宿や旅館などもある。ほとんどの宿泊施設は浴室に温泉を引いているが、温泉施設のみの共同浴場や料亭・オートキャンプ場の中に温泉を併設したとした施設も見られる。大きなホテルや旅館では有料で温泉のみの利用もできる。

共同浴場など
松の湯
公民館のような建物の中にあり、窓から景勝の円月島を眺めることができる。地元の人も多く利用する共同浴場。入浴料 大人200円 小人100円
白良湯
白良浜の砂浜から出たところにある共同浴場。夏は多くの海水浴客で賑わう。入浴料 大人300円 中人130円 小人70円
しらすな
白良浜の砂浜の中にある露天風呂。男女混浴なので夏は海水浴客が水着のまま利用し、冬は足湯に利用される。白良浜の中にあるので夏は海水浴客で大変賑わう。入浴料 無料(但し、5/1~9/30 3歳以上100円)
牟婁の湯
日本書紀や万葉集に詠われた古い源泉である。入浴料 大人300円 中人130円 小人70円
崎の湯
太平洋に面した開放感あふれる露天の岩風呂。かつては無料であったが、現在は入湯料(2006年10月現在3歳以上300円/税込)が必要。斉明4年(658年)に斉明天皇と中大兄皇子が入湯したと言う由緒ある湯。和歌山藩主時代の徳川吉宗も入湯した。波を間近に感じながら入れる温泉だが、天候が悪くなり波が高くなると入湯禁止になる。入浴料300円(3歳以上)
長生の湯  利用時間10:00~22:00 水曜定休 大人500円 小人300円
白浜温泉パーク草原の湯
山肌に作られた温泉施設。海を展望できる風呂(絶景かな温泉)と草木に囲まれた風呂(草原の湯)に大きく分かれ、どちらも露天と内湯がある。絶景かな温泉は入り口よりエレベータで更に高い所へ向かう。「27種類の露天風呂」としているが、これは男女の湯船一つ一つに名前を付けたもの。実際には入浴できない湯船もある。家族やカップル向けに別料金で貸し切り風呂も利用できる。温泉と料理が楽しめ、宿泊施設も併設している。利用時間9:00~22:00(最終入園は21:30)年中無休 大人(中学生以上)1000円・小学生800円・小学生未満~3歳500円
千畳の湯グランパス  
「オートキャンプ場グランパス」の中の温泉。オートキャンプ場の利用者が多い。利用時間10:00~22:00(最終入園は21:30) 火曜定休 入浴料 600円
とれとれの湯
料亭「いただき亭」の中にある温泉。料理と温泉が楽しめる。入浴料 大人550円 小人(12歳以下)350円 2歳児以下無料 
かつて「綱の湯」という共同浴場も存在したが、耐震性の低さによる危険性から2005年9月末で閉鎖された。

温泉街にある温泉神社では、6月に献湯祭が行われる。その際、一部共同浴場に無料で入浴することができる。

日本書紀に、当時の歴代天皇が訪れたことが記載されている古い温泉。
658年上記斉明天皇
690年持統天皇
701年文武天皇
万葉集に牟婁の湯が登場している。
それ以後、貴族(江戸時代は和歌山藩主)から庶民まで、たくさんの人が白浜温泉を楽しんでいる。今日に見る大規模な温泉街が作られたのは大正9年のボーリングからで、以後は国鉄紀勢本線の開通に伴い、飛躍的に観光客が増加した。

戦後は団体観光客向けの歓楽温泉として発展するが、昭和50年頃から南紀白浜アドベンチャーワールド、白浜エネルギーランドの開園に伴い、家族向けのレジャー温泉地へと変化を遂げている。

アクセス
鉄道 : JR紀勢本線白浜駅(特急停車駅)から明光バス10分、南紀白浜空港は駅よりも温泉街に近い。大阪駅、なんばから直行バス(阪和自動車道経由)も運行。阪和道みなべICからは自動車で約30分(24km)。
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テーマ : 温泉 - ジャンル : 旅行

道後温泉



泉質
単純温泉
源泉温度42~51度(これらを混合して46度で供給している)。

効能
神経痛、リューマチ・胃腸病・皮膚病・痛風・貧血。

道後温泉街はその中央にある道後温泉本館を中心としている。本館自体が観光施設であるが、その横には「道後麦酒館」という地ビールを飲める店があるなど、飲食施設が充実しつつある。

温泉本館前から、市内電車の道後温泉駅まで、L字型に道後商店街があり、土産物店や飲食店などが軒を連ねている。L字の角のところに、椿の湯がある。こちらも共同浴場であるが、料金も本館より安く、地元の人の利用が多い。

市内電車の道後温泉駅前には、放生園という小公園があり、坊っちゃんからくり時計、足湯、湯釜などがある。駅前広場には夜間は坊っちゃん列車の機関車と客車が留め置かれ、ライトアップされている。また、坊っちゃん、マドンナ、巡査の衣装をまとった観光ボランティアガイドも出て、からくり時計の動く時間には観光人力車も集まり、とりわけ夜8時前後は賑やかになる。従来は道後温泉街には昼間の楽しみが少ないと指摘されていたが、放生園に足湯ができて、楽しみが増えた。足湯は湯釜を取り囲む形でベンチが作られ、腰を下ろして足を温泉に浸け、歩き疲れを取ることができる。なお、放生園の隣、商店街の入り口には松山市の観光案内所と道後温泉旅館組合の事務所がある。

温泉本館の北から東にかけてがホテル旅館街となっている。各旅館ホテルが高度成長期に競い合って増築を行ったため、規模の大きい施設が多い。いくつかのやや規模の大きいホテル旅館の前には足湯・手湯が置かれ、自由に利用できる(無料)。

周辺にも、坊っちゃん記念碑、道後公園、湯築城跡、湯神社、伊佐爾波神社、松山神社、にきたつの道、セキ美術館、松山市立子規記念博物館などの見所が多数あり、一帯が観光地を形成している。

近年、松山市が推進している「坂の上の曇」関連では、秋山家の墓が鷺谷墓地にある。

ホテル旅館街の西にある歓楽街・風俗街は有名である。

かつては置屋などの立ち並ぶ一帯もあったが、現在は廃屋同然となっており、再生が課題となっている。

道後温泉は、日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つと言い伝えられる温泉である。神話の昔はもちろん、史実上の記録に登場する温泉として見ても、道後温泉は日本最古級の歴史を持つ。

神話の時代から古代
白鷺伝説
昔、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷は癒えて、飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かく、温泉であり、効能を確認したという伝説がある。これが道後温泉の発見とされる。
道後温泉のみならず、白鷺と温泉の縁は深く、各地の温泉の発見物語に白鷺が登場する。道後温泉ではさらに念の入ったことに、その白鷺が舞い降りた跡が残ったものとのいわれのある石(鷺石)があり、市内電車の駅前の放生園(ほうじょうえん)という小公園の一角に据えられている。
なお、白鷺は道後温泉のシンボルの一つともなっており、道後温泉本館の周囲の柵にも白鷺をモチーフとした意匠がみられる。また、鷺谷という地名が残っている。
伊予国風土記逸文
神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、長旅の疲れからか少彦名命が急病に苦しんだ。大国主命は小彦名命を手のひらに載せて温泉に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたという。この模様を模して、湯釜の正面には二人の神様が彫り込まれている。
また、その上で舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として奉られている。こちらにも、白鷺同様、命の「足跡」と伝えられる跡が残っている。なお、有馬温泉、玉造温泉ほか全国の各地に類似の伝説がある。
596年 厩戸皇子(聖徳太子)来湯
病気療養のため道後温泉に滞在したことが伊予国風土記逸文に記されている。皇子は伊佐爾波の岡に登り、風景と湯を絶賛し、記念に碑文を遺したとされるが、今日までその現物は発見されておらず、道後温泉最大の謎とされている。(14世紀に河野氏が湯築城造営の際に持ち去ったという説もある)椿の湯の南側の緑地にその模様を記した碑が建立されている。
これをはじめとして、日本書紀や伊佐爾波神社(いさにわ~。八幡宮)の社伝などによると、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)など多くの皇族方が行幸したとされる。
7世紀
645年に大化改新が行われると、現在の今治市の辺りに伊予国の国府が置かれ、京から見て国府よりも遠い地域は「道後」(←→道前、道中)と呼ばれたことから、後世になるとこの温泉のある一帯が特にそう呼ばれるようになった。
中大兄皇子
白村江の戦いの前に中大兄皇子(後の天智天皇)が日本・百済連合軍を集結させた。
7世紀頃
2005年11月、松山市埋蔵文化財センターは、道後温泉本館の東隣の発掘調査現場から7世紀頃の地層に温泉の成分である高濃度の硫黄やアルカリ泉に存在するケイ藻の成分が含まれていたと発表した。史書に登場する温泉の存在を裏付ける史料ではないかと注目されている。

中世
1239年 宝厳寺(ほうごんじ)に一遍上人生誕。
14世紀 河野氏が一帯を支配、湯築城を築城などする。

江戸時代
1635年(寛永12年) 松平氏の温泉経営始まる
松山藩に松平定行が入ってから、道後温泉は定行ら代々の松平松山藩主により大きく整備された。「温泉経営の時代」である。
1795年(寛政7年) 小林一茶来湯

明治以降
1894年(明治27年)、道後温泉本館落成
温泉街の中心部に近代和風建築として斬新なデザインを持つ道後温泉本館が完成する。翌4月には松山中学の英語教師として温泉のある松山市に赴任した夏目漱石がその建築に感嘆し、手紙や、後の彼の作品『坊つちやん』の中で絶賛している。
手紙によれば、八銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。この道後温泉本館は、現在でも道後温泉のシンボル的存在となっている。
1944年(昭和19年) 道後湯之町、松山市と合併
1946年 南海地震により湯の湧出が一時止まったが約一ヶ月後、再び湧き出る。
1950年(昭和25年) 昭和天皇、入浴。
1956年(昭和31年) 内湯創設 当時、旅館62軒
1966年(昭和41年) 道後温泉本館三階に「坊っちゃんの間」開設。
1977年(昭和52年) 道後村めぐり始まる
1986年(昭和61年) 愛媛県県民文化会館オープン。
1988年(昭和63年)4月 瀬戸大橋開通、宿泊者数ピークに
1994年(平成6年) 道後温泉本館が国の重要文化財に指定された。
同年 本館建設百周年記念事業、からくり時計の設置、坊っちゃん列車復元運行(県民文化会館隣の空き地にて)
この頃から、道後温泉誇れるまちづくり協議会の活性化の取組みが始まる。
1994年(平成6年)8月~ 夏季異常渇水に見舞われる
1994年(平成6年)12月 道後温泉本館重要文化財指定
1996年(平成8年)3月 道後公園の整備計画まとまる。中世の史跡公園としての方向性示される。
1996年(平成8年) 聖徳太子来湯1400年
1996年(平成8年) 刻太鼓(ときだいこ)が「残したい日本の音百選」に選ばれる。
1996年(平成8年)7月 道後地ビール発売
1997年(平成9年)6月 冠山のニュー宝荘明け渡し完了、駐車場としての利用開始
1998年(平成10年)5月 観光ボランティアガイド活動開始
1999年(平成11年)5月 瀬戸内しまなみ海道開通
2001年(平成13年)3月 芸予地震発生(24日)、一旅館倒壊の被害
2001年(平成13年)10月 道後商店街の愛称が「ハイカラ通り」に決まる
2001年(平成13年)12月 旅館の入り口付近に「足湯」の設置始まる。
2003年6月厚生労働大臣表彰
2002年(平成14年)2月 道後温泉誇れるまちづくり協議会により活性化構想「DO!GO!21」構想を発表
2002年(平成14年)3月 放生園に体験足湯設置
2002年(平成14年)4月 道後公園湯築城跡オープン
2002年(平成14年)12月 放生園の足湯設置
2003年 塩素騒動勃発
2005年度、全国都市再生モデル調査の事業として、カジュアルフォトコンテスト、道後村めぐりワークショップ、景観を考えるシンポジウム等を実施した。
2005年(平成17年)1月 ぎやまんの庭オープン
2005年(平成17年)7月 にきたつの道朝市開始(以後、第4日曜日開催)
2006年(平成17年)3月 道後商店街新アーケード完成
2006年(平成17年)3月 道後温泉本館保存修復検討委員会最終報告
2006年(平成17年)4月 夏目漱石の小説『坊っちゃん』発表百周年記念行事
4月 本館東側空き地に「漱石坊っちゃん碑」設置
2007年(平成19年)8月 地域ブランド認定

アクセス
JR松山駅から
予讃線松山駅から伊予鉄道市内電車城南線で道後温泉行き終点の道後温泉駅へ(約20分)。
伊予鉄道、松山市駅(略称・市駅)乗り換え
市駅前駅から同じく市内電車で終点の道後温泉駅。
伊予鉄バス8番線松山市駅経由道後温泉行 終点下車
松山空港から
松山空港から、JR松山駅などを経由し道後温泉駅前行きの空港リムジンバスが出ている。終点まで約40分。
松山観光港から
松山観光港から、伊予鉄リムジンバスでJR松山駅前、松山市駅経由道後温泉駅前行 終点下車。所要約40分。
車で
松山自動車道松山ICから、国道33号、松山東部環状線経由で約8km。
本館の隣の小高い山(冠山・かんむりやま)の上に市営の有料駐車場がある。ただし、道後温泉本館と椿の湯の利用者には一時間まで無料。

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有馬温泉



泉質
地質的には活断層の有馬高槻構造線の西端にあり、地下深くまで岩盤が割れており、その割れ目を通って地下深くから温泉水が噴出している構造。

泉質は、塩分と鉄分を多く含み褐色を呈する含鉄強食塩泉、ラジウムを多く含むラジウム泉(ラドン泉)、炭酸を多く含む炭酸泉があり、それぞれ、湧き出し口では透明だが空気に触れ着色する含鉄強食塩泉を「金泉(きんせん)」、それ以外の透明な温泉を「銀泉(ぎんせん)」と呼ばれているが、泉源により成分が若干異なる。

自噴している金泉のエネルギーは、地中で熱せられた炭酸ガスの圧力であることが知られているが、この熱源については諸説あり未だに解明されていない。

また、近年、含鉄強食塩泉の起源は瀬戸内海ではなくて太平洋(南海トラフ付近)の海水を起源とすることが放射性同位体の成分分析で解明されてきている。

金泉:含鉄ナトリウム塩化物強塩高温泉
鉄分が多いため、タオルにかけ続けると赤く染まる
銀泉:炭酸ラジウム混合低温泉
泉源― 天神泉源、 有明泉源、 炭酸泉源、 太閤泉(飲泉場)、 極楽泉源、 御所泉源、 妬(うわなり)泉源

神戸市にありながら山深く、関西の奥座敷として知られており、旅館の宿泊料金は比較的高いとされているが、最近では一人一泊二食付1万円の宿も散見され幅広い客層がみうけられる。温泉街はかなりの急斜面にあり、街中を通る道も細い。大きな旅館やホテルは温泉街の周辺や少し離れた山中にある。公的な外湯は「金の湯」(金泉)、「銀の湯」(銀泉)があり、観光客や下山客でにぎわっている、また、最近では日帰り入浴を楽しめる旅館が増えてきている。温泉寺の周辺に上記外湯2箇所と特産品店や民家が密集しており、のんびり散策する客が多い。

湯本坂 - 旧大阪街道。昔の温泉街のメインストリートで、町家の佇まいが残る
外湯 - 金の湯、 銀の湯、 太閤の湯(温泉テーマパーク)
公園 - 瑞宝寺公園、 鼓ヶ滝公園、 愛宕山公園、ゆけむり広場
社寺 - 有馬稲荷神社、温泉寺、極楽寺、念仏寺、湯泉神社、妙見寺、寶泉寺、善福寺、林渓寺
博物館 - 神戸市立太閤の湯殿館、温泉寺御祖師庵、有馬の工房、有馬玩具博物館、有馬切手文化博物館
景勝地 - 有馬四十八滝、紅葉谷、地獄谷
花街 - 温泉芸者は有名。高卒の新人は舞子と呼ばれる。

有馬温泉の歴史は古く、昔から皇族・貴族・文化人らに愛されてきた。日本最古泉とも言われる。

631年に舒明天皇が約3ヶ月滞在したことが日本書紀に見られる。
奈良時代には僧行基が温泉寺を建立。
清少納言は枕草子で有馬温泉に言及している。
1192年に僧仁西が戦乱で荒廃した有馬温泉を復興して湯治場としての原型を作った。
豊臣秀吉は有馬を愛し何度も訪れ、更に温泉や周辺の改修を行い、今でも太閤○○と言う地名が残っている。
江戸時代に作成された温泉番付では、西大関(当時最高位)にランクされていた。また、姫路と京都を結ぶ街道の経由地としても栄えた。
谷崎潤一郎も有馬を愛し長期滞在して執筆を行うと同時に、作品中にも有馬温泉を度々登場させている。
1950年から毎年秋に「有馬大茶会」が開催されている。
1968年11月2日、温泉街の旅館池之坊満月城で火災。死者30人。

アクセス
有馬温泉は阪神間の裏山に当る六甲山の北側にあるので、南側より訪問するには山を迂回するか山を貫くトンネルを利用するか山を越える必要がある。


徒歩
山越えルートは乗り物利用の他にも 六甲山中に網目状にある『登山道』をたどる脚力頼みのルートもあり、いずれも根強い人気がある。登山道には、交通機関が発達する前に 御影から有馬温泉に新鮮な魚介を運ぶ魚屋が利用したと言われる『魚屋道』(ととやみち)などがある。


自家用車
車の場合、中国自動車道西宮北インターチェンジまたは、阪神高速北神戸線有馬口出入口、西宮山口南出入口よりすぐ。


公共交通
神戸方面から 阪神電車・阪急電車・山陽電車で新開地駅まで乗り、神戸電鉄に乗り換え。有馬温泉駅下車すぐ。または、三宮駅・新神戸駅より神戸市営地下鉄~北神急行電鉄に乗り谷上駅で神戸電鉄に乗り換える方法もある。バスなら三宮バスターミナル(ミント神戸1F)4番のりばより神姫バス・阪急バス運行の路線バスがある。
大阪から 前述の神戸回りや後述の三田回りの他に、直接行く手段として大阪梅田阪急三番街より阪急バスの高速バスが運行されている。特急バスを含め、休日には15往復ほどが走っている。
芦屋、宝塚、三宮から 阪急バスの便あり。いずれも普通の路線バス、おおむね1時間に1本の運行となっている。芦屋からは阪神芦屋駅始発、JR芦屋駅、阪急芦屋川駅、芦有ドライブウェイ経由。宝塚からは蓬莱峡経由と西宮名塩駅経由がある。三宮からは新神戸駅経由で神姫バスとの共同運行となっている。
神戸市東部から 阪神御影駅・JR六甲道駅・阪急六甲駅から神戸市バス・六甲ケーブル・六甲山上バス・六甲有馬ロープウェーを乗り継ぐ六甲山越え観光ルートも存在する。
神戸空港から ポートライナーで三宮駅まで出る。後は前述「神戸方面から」と同様。
JR三田から 神戸電鉄を利用。途中有馬口駅で乗り換え、あるいは、阪急バス有馬温泉行きを利用。

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