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山中温泉

泉質
含石膏芒硝泉(カルシウム・ナトリウム硫酸塩泉)
奥の細道の芭蕉の句にも詠まれる、ほのかな匂いが特徴。

山中温泉街は山に囲まれた街であり、また至近の自然豊かな山、谷、川など山間部の田舎の情緒も味わえる。温泉街は大聖寺川の渓谷沿いなどに旅館が立ち並ぶ。

文字通り「山の中」にあり、一帯は鶴仙渓という景勝地である。街のシンボルであるこおろぎ橋や草月流家元がデザインしたユニークな形のあやとり橋も楽しめ、日帰り入浴施設も充実している。山中漆器の産地でもあり、土産物屋が多い。山中節という民謡もある。

一方、1970年代は歓楽温泉としても発展したが、町の景観整備も進み、歩いて楽しい温泉地と変貌してきた。


共同浴場
共同浴場は総湯である「菊の湯」が存在する。菊の湯の下には源泉が存在する。夕方から夜過ぎに地域の人が続々と温泉に入りに来て一種の社交場と化し、昔ながらの共同浴場の光景を見ることができる。菊の湯(男子用)のプール状の大きな湯船の壁には大きく山中温泉縁起絵巻の一部を九谷焼タイルで模写し、温泉の歴史の一端を味わえる。菊の湯の菊は奥の細道芭蕉の句に因んでいる。呼称、総湯は全国広く使われたが今は北陸地方だけに残る。


山中座と広場
共同浴場、菊の湯は男女用それぞれ別棟であり、その間の大広場にはからくり時計、芭蕉が曾良との此処での別れに際し詠んだ句に因み「笠の露」と名付けた足湯、各種の催し物を開く市民ホール山中座などがある。山中座は豪華な蒔絵の格天井やロビーに山中漆器の粋を配し、外観が同じ和風の二つの菊の湯と共に三つ棟と大広場の見事な調和がある。山中座の外壁は温泉縁起などの詳細が常設され広場は季節を彩る巨大な催事物が置かれることも有る。


ゆげ街道
共同浴場からこうろぎ橋に至る国道364号の途中400mは道路幅6mから倍以上へと拡幅、全店舗を再構築と大改修を行い、温泉情緒ある街並みに変貌し「ゆげ街道」と呼んでいる。商店街と温泉客との融合活性化を図り景観も優れ、2003年完成後、いしかわ景観大賞、2004年10月都市景観大賞国土交通大臣表彰の楽しめる街並みでその先進性から全国の商店街からの視察も多い。1931年の町の大火でも奇跡的に現存する寺から南部は延焼を免れ、道路幅6mと狭かった。


道の駅 山中温泉ゆけむり健康村
以前からの施設が2005年3月から道の駅として登録され、こおろぎ橋から国道364号約0.5km大聖寺川上流に有る。栢野大杉、福井県坂井市や永平寺方面からもアクセスでき、100%温泉の保養施設ゆーゆー館、露天風呂、25m長温泉プール、うたせ湯、サウナ、家族風呂、テニスコート、ゲートボールコート、フィットネスジム、24時間トイレなど、多彩な施設を備えている。丸岡・山中温泉トンネルを通り福井県からの利用も多い。対岸の旅館街からも行き来できる徒歩専用の橋もある。以前の山中中学校跡地でグラウンド近くの水田の一ヶ所だけは冬季少ない積雪量のとき、必ず水溜りが見え温泉源が有る可能性大と思われており、学校の移転後試掘された。


栢野大杉
回遊バスが巡る街最南端にある巨木、栢野大杉(樹齢約2300年)は僧泰澄(717年)が百本の木(木へんに百=栢)に勝るとし白山五院の一つ栢野寺となり、1947年に昭和天皇が巡幸でご覧になったことから天覧の大杉とも呼ばれる。古くは平氏、源氏、朝倉氏、富樫氏の武将が参詣したと伝えられる。

開湯から1300年とされる。奈良時代行基による開湯伝説も存在する。しかしながら広く知られる開湯伝説は平安時代の開湯とされ、鎌倉武士、長谷部信連は傷を負った白鷺が傷を癒しているところから発見し、あらためて掘ってみたところ温泉が湧き出たと言われる。この開湯伝説は後に北陸鉄道6010系電車の愛称の由来の1つともなっている。山代、山中、片山津と言われ、加賀国の代表的2番目の温泉地である。

奥の細道の松尾芭蕉と河合曾良は驚異の速さで行程を歩いたが、終点の岐阜大垣を目前に安堵したか、温泉嫌いであった芭蕉もここ山中温泉の名湯が格別気に入り八泊後、芭蕉は那谷寺を参詣し小松へ戻り、腹を病んでいた曾良を先に帰し大聖寺へと別れた。重陽の節句(菊の節句)に因む名湯を称えた句を残す。

1903年初代新家熊吉(あらや くまきち)は高価な輸入自転車に対して安価な普及を願い山中漆器の工程からヒントを得て初めて木製リム製造し、日露戦争時で需要も旺盛となり、1915年に英国製を手本に国産初の金属製リムの製造に成功。1946年に「ツバメ號」自転車を生産し、その後リムと共にチェーンの製造も手がけ、これらは加賀市の機械産業の一翼と成っている。上原町国道脇の丘に翁の銅像があり、傍のシダレザクラも見事である。二代目新家熊吉は初代加賀市長となった。

昭和初期まで各温泉宿には内湯が無く「湯ざや」と呼ばれる共同浴場を利用していた。

1938年海軍は佐世保市、呉市、横須賀市所在の軍管理のもと既存の三つの温泉病院(他に三病院、青森県むつ市大湊湾、韓国・鎮海港、台湾・馬公市)に加え、京都府舞鶴市所在の軍管理で日本海側にも一つ温泉病院の設立を決定した。各地で誘致合戦が展開され、戦況から毒ガスの使用が予想され、毒ガス傷病兵に効能ある泉質から山中温泉に土地の無償提供も有り1941年10月山中海軍病院が開設された。1945年12月国立山中病院、2003年3月山中温泉医療センターとなった。加賀市合併後、市の施設とし運用され、管理運営は財団法人地域医療振興協会に委ねている。また、1946年付属看護婦養成所を併設し、1953年高等看護学院を開設、1975年付属看護学校と改称、2004年4月全国の国立病院が独立行政法人国立病院機構となったのを機に全国50余校と共に廃校となった。

近年は1978年、女優樋口可南子のデビュー東京放送系テレビ小説「こおろぎ橋」で再び知れ渡った。1996年から1999年までフジテレビ系(東海テレビ製作)の昼ドラマ「はるちゃん」の舞台になった。

アクセス
鉄道
JR北陸本線、加賀温泉駅からバスで20分、金沢駅より北陸鉄道(加賀温泉バスにより運行)の特急バスも山代温泉経由で山中温泉まで走っている。また山中座から永平寺直通バス「永平寺おでかけ号」3月1日~11月30日の毎日運行全便予約制1日5往復もある。
かつては北陸鉄道加南線が粟津駅・動橋駅・大聖寺駅から通じていたが、1971年に廃止された。
自動車
北陸自動車道加賀ICから約20分、福井北IC、丸岡ICから国道364号経由で約25分。
国道364号、福井県坂井市丸岡町山竹田から、県境の丸岡・山中温泉トンネル(2004年4月開通、延長5.14km)を抜け山中温泉大内町、我谷ダム、栢野町を経て温泉街に至る。
金津ICからは狭い山道を通る必要があるため、多少時間がかかる。
小松空港、那谷寺、山代温泉から県内終始の最長四十九院トンネル(2000年9月開通、延長1.436km)により短縮された。
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テーマ : 温泉旅行 - ジャンル : 旅行

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